道内の公立高校で一斉に卒業式が行われた一日、札幌市中央区の札幌南高校定時制普通科から、七十八歳の卒業生が巣立った。札幌市白石区の越山せい子さん。開校以来、最高齢の卒業生となった越山さんは四年間、無遅刻・無欠席だった。「せっかく勉強できるんだもの。休んだら、もったいない」。学ぶことを精いっぱい楽しんだ姿に、五十歳以上も若い同級生や後輩は、惜しみない祝福を贈った。(森貴子)
午後六時。すっかり暗くなった校内で体育館だけが明るかった。
家族や在校生ら約百人に囲まれた十八人の卒業生たち。その中に背すじをしゃんと伸ばした、はかま姿の越山さんがいた。
「卒業証書、授与。越山せい子」。越山さんが壇上に上がった。少し照れたような笑顔。会場から大きな拍手が起こった。
太平洋戦争中、東京の女学校に通っていた越山さんは、一九四五年三月の東京大空襲で家を焼かれ、教科書もノートも家も失った。命からがら生き延び、両親と一緒に、札幌で働いていた姉を頼った。結婚後も建設業の夫を支え、魚などの行商をしながら三男一女を育てた。「もう一度勉強したい」と願っていたが、かなわなかった。
七十四歳の時、知人の教師から定時制を勧められた。不安を抱え、約六十年ぶりに学校の門をくぐった。夫や子供たちが背中を押してくれた。
授業は月曜-金曜日の午後五時半から九時すぎまで。帰宅するのは毎日、午後十時半だ。四年間で約二十科目を学んだ。「数学や化学は歯ぎしりしながら机に向かった」と越山さん。風呂で英単語や化学式、年号を暗唱し、教科書やノートを何度も何度も読み込む。成績表は半分近くが「4」だった。
四年間で得たのは、三十冊以上のノートと四枚の成績表。けれど、一番大きな宝物は「未来を夢見ること」だ。
作文でも友達との会話でも、越山さんは「思い出話」しかできなかった。「みんなは夢や希望を語るのに。年を取って、いつの間にか自分の目線が過去で止まっていたことに気付いたの」。未来を考えてわくわくする気持ちを、もう一度取り戻したいと思った。
今の「未来」は、大学進学。いつか挑戦したいと思っている。
大学でまた新しい「何か」と出合えるかもしれない-。そう考えると、越山さんはわくわくする。
(北海道新聞より引用)
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