作家の織田作之助はスタンダールの影響を強く受けたが、その墓碑銘は好まなかった。〈生きた。書いた。恋した〉。「夫婦善哉(めおとぜんざい)」などで庶民生活を描いた目からは、きざっぽすぎると映るのも当然だろう▼自分が墓碑銘をつくるなら「私はたばこを吸った」で十分だ、と書いた。一日に百三十本も吸った人だ。カレーを食べる時は、右手のスプーンと左手のたばこを交互に口に運ぶ。風呂に入るにも、たばこを持ち、耳にもはさんで、二本吸うまでは左手をぬらさなかった(随筆「中毒」)▼戦後間もなく、三十三歳で病死した。まだ「分煙」といった言葉もなかったころだ。それから半世紀以上がたち、今や喫煙できる公的空間はかなり少なくなった。織田ほどのヘビースモーカーがいれば困ってしまいそうである▼札幌圏のタクシーが、来年十一月をめどに全面禁煙に踏み切る。喫煙者の不満は目に浮かぶようだが、狭い車内に残るたばこのにおいには、へきえきする人も多い▼これは時代の流れだ。名古屋圏や大分、神奈川などでは始まっている。健康の問題もあるし、さわやかな北海道にはたばこくさくないタクシーが似合う▼物理学者の寺田寅彦は、たばこの効能の一つとして「憂苦を忘れさせ癇癪(かんしゃく)の虫を殺す」と述べた(「喫煙四十年」)。タクシー禁煙で癇癪を起こすトラブルが起きないように、よく準備してほしいものだ。
(北海道新聞より引用)
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