2007年7月26日木曜日

タクシー禁煙

作家の織田作之助はスタンダールの影響を強く受けたが、その墓碑銘は好まなかった。〈生きた。書いた。恋した〉。「夫婦善哉(めおとぜんざい)」などで庶民生活を描いた目からは、きざっぽすぎると映るのも当然だろう▼自分が墓碑銘をつくるなら「私はたばこを吸った」で十分だ、と書いた。一日に百三十本も吸った人だ。カレーを食べる時は、右手のスプーンと左手のたばこを交互に口に運ぶ。風呂に入るにも、たばこを持ち、耳にもはさんで、二本吸うまでは左手をぬらさなかった(随筆「中毒」)▼戦後間もなく、三十三歳で病死した。まだ「分煙」といった言葉もなかったころだ。それから半世紀以上がたち、今や喫煙できる公的空間はかなり少なくなった。織田ほどのヘビースモーカーがいれば困ってしまいそうである▼札幌圏のタクシーが、来年十一月をめどに全面禁煙に踏み切る。喫煙者の不満は目に浮かぶようだが、狭い車内に残るたばこのにおいには、へきえきする人も多い▼これは時代の流れだ。名古屋圏や大分、神奈川などでは始まっている。健康の問題もあるし、さわやかな北海道にはたばこくさくないタクシーが似合う▼物理学者の寺田寅彦は、たばこの効能の一つとして「憂苦を忘れさせ癇癪(かんしゃく)の虫を殺す」と述べた(「喫煙四十年」)。タクシー禁煙で癇癪を起こすトラブルが起きないように、よく準備してほしいものだ。

(北海道新聞より引用)

2007年7月19日木曜日

若き才能 大地に響け PMF2007開幕

 深緑の森に囲まれたステージに、高らかに響くファンファーレ-。国際教育音楽祭「パシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)2007」が七日開幕し、札幌市南区の芸術の森野外ステージで、市民約四千六百人が参加して開会式が行われた。
 開会式はアカデミー生と教授陣のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団首席奏者らによるファンファーレで幕を開けた。PMF組織委員会理事長の上田文雄札幌市長は「若者たちが秘めた才能を開花させ、世界中の人と感動を分かち合う機会になるよう期待します」とあいさつした。
 今年のPMFには二十二カ国・地域のアカデミー生百二十九人が参加。八月一日までの期間中、札幌を中心に道内六市町と東京・大阪・名古屋で公演を行い、美しい調べを響かせる。
 七日午後七時からは札幌コンサートホール・キタラで札幌交響楽団による「PMFウェルカムコンサート」も開かれる。

(北海道新聞より引用)

2007年7月9日月曜日

クラーク博士離道130年 教育者の功績学ぶ 恵庭で中学生 創作劇発表や生涯紹介

札幌農学校(現北大)の初代教頭クラーク博士が北海道を離れてから百三十年になるのを記念したイベント「若者と歴史研究者からのメッセージ」が八日、恵庭市民会館で開かれた。市立恵み野中学校演劇部による創作劇などが披露され、市民六十人が博士の教えや生涯を学んだ。
 恵庭市内の郷土史愛好家らでつくる「クラーク博士さようなら130周年フェスタ実行委員会」の主催。博士は恵庭と北広島の市境の島松沢地区で一八七七年(明治十年)四月、見送りの学生に有名な「少年よ大志を抱け」の言葉を残し、北海道を後にしたとされる。
 恵み野中演劇部の劇は現代の女性三人が札幌の羊ケ丘展望台のクラーク博士像に残された謎の言葉によって、当時の札幌農学校にタイムスリップし、博士の授業を見学する設定。博士が学生に土の質に応じて植物を植えるように指示したり、学校の細かい規則を廃して「紳士たれ」と指導したりする様子を演じ、教育者としての博士の功績を紹介した。
 また、元恵庭市立図書館長の林嘉男氏が島松沢地区の歴史について講演し、市内の恵庭中と恵明中の生徒が博士の一生について調べた結果を発表した。
 実行委は四月に北広島市民有志との共催で、島松沢地区で博士が学生と別れた当時を再現したパレードを実施しており、今回のイベントはその第二弾。八月には第三弾として、北広島市民有志が同市島松の旧島松駅逓所で関連の野外劇上演を予定している
(北海道新聞より引用)

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