北洋銀行、北海道銀行、民間シンクタンクの北海道未来総合研究所(札幌)の二○○七年度道内経済見通しが二十四日、出そろった。物価変動の影響を除いた実質経済成長率で、いずれもプラス成長を見込む。ただ、公共工事の削減や住宅投資の低迷を受け、1%未満の小幅成長予測にとどまっている。昨年十二月の当初予測に比べ、北洋銀と未来総研は民間消費の伸び悩みなどでいずれも0・1ポイント下方修正した。
(北海道新聞より引用)
2007年8月26日日曜日
2007年8月16日木曜日
道内水難相次ぐ 増毛、小樽、苫小牧
【増毛】十五日午前十一時ごろ、留萌管内増毛町岩老の岩老漁港西側の岩場近くの海底(水深約二メートル)に空知管内上砂川町上砂川三、会社員高橋直也さん(19)が沈んでいるのを捜索中の同僚らが発見、引き揚げた。高橋さんはドクターヘリで札幌市内の病院に運ばれたが間もなく死亡した。死因は水死。
【小樽】十五日午後四時三十分ごろ、小樽市銭函三、星置川河口近くの通称ホリエビーチで、札幌市手稲区星置一の一、酪農学園大二年、芦田丈之さん(22)が遊泳中に行方不明になった。芦田さんは三十分後、水上バイクに発見され、病院に運ばれたが、死亡した。死因は水死。
小樽署の調べでは、芦田さんは友人四人と同ビーチを訪れ、沖合約十五メートルで泳いでいたが姿が見えなくなったため、友人が119番通報した。ホリエビーチは近年、若者らの人気を集める穴場的な砂浜。遊泳は禁止されていないが、小樽市に届け出た海水浴場ではないため、監視員はいない。二○○五年八月には札幌の中学三年の男子が水死した。
(北海道新聞より引用)
【小樽】十五日午後四時三十分ごろ、小樽市銭函三、星置川河口近くの通称ホリエビーチで、札幌市手稲区星置一の一、酪農学園大二年、芦田丈之さん(22)が遊泳中に行方不明になった。芦田さんは三十分後、水上バイクに発見され、病院に運ばれたが、死亡した。死因は水死。
小樽署の調べでは、芦田さんは友人四人と同ビーチを訪れ、沖合約十五メートルで泳いでいたが姿が見えなくなったため、友人が119番通報した。ホリエビーチは近年、若者らの人気を集める穴場的な砂浜。遊泳は禁止されていないが、小樽市に届け出た海水浴場ではないため、監視員はいない。二○○五年八月には札幌の中学三年の男子が水死した。
(北海道新聞より引用)
2007年8月2日木曜日
札幌のお好み焼き店「せんば」 「浪速の味」広め38年の歴史に幕
札幌市中央区南九西八のお好み焼き店「せんば」が店舗の老朽化のため、十九日の営業を最後に店を閉じる。下町の風情を残す東屯田通の一角にのれんを掲げて三十八年。ソースの香りを街角に漂わせ、多くの人に愛された「浪速の味」が惜しまれながら消える。
店主は李世琳さん(60)。華僑の二世として大阪府で生まれ、青春時代を店名の由来となる大阪市中央区の船場地区で過ごした。文具メーカーに勤めていた四十年前、転勤で札幌に来た。
二年後、札幌永住を決意し、「大阪で身近にあったお好み焼きの店が札幌にはほどんどない」ことから、「せんば」を開いた。以来、妻や娘たちと家族ぐるみで、故郷の味を札幌で根付かせてきた。
お好み焼きが二十四種類、焼きそばも十六種類と豊富なメニューをそろえた。ふっくらと焼き上がるお好み焼きは、生地を道内産の小麦で練り、具材には旬の魚介類を使う。常連は家族連れや会社帰りのサラリーマン。お好み焼きが北海道で定着し、最近では若いカップルも増えたという。
開店当初は子供の歓声が響いた東屯田通の商店街もここ数年はシャッターが降りたままの店が増えた。「今は最盛期の四分の一くらいの人通り。寂しいね」と李さん。
その李さんが店子(たなこ)となっている「せんば」も、古びた建物に改築のめどはない。常連からは「どこか別の場所で続けてほしい」と言われるが、李さんは「もう年だし、一度休んでじっくり考えます」とのれんを下ろす覚悟を決めた。
三十八年間を振り返って李さんは言う。「毎日、開店前の準備は本当に大変だったけれども、たくさんのお客さんと触れ合うことができた。これが本当に楽しかった」
(北海道新聞より引用)
店主は李世琳さん(60)。華僑の二世として大阪府で生まれ、青春時代を店名の由来となる大阪市中央区の船場地区で過ごした。文具メーカーに勤めていた四十年前、転勤で札幌に来た。
二年後、札幌永住を決意し、「大阪で身近にあったお好み焼きの店が札幌にはほどんどない」ことから、「せんば」を開いた。以来、妻や娘たちと家族ぐるみで、故郷の味を札幌で根付かせてきた。
お好み焼きが二十四種類、焼きそばも十六種類と豊富なメニューをそろえた。ふっくらと焼き上がるお好み焼きは、生地を道内産の小麦で練り、具材には旬の魚介類を使う。常連は家族連れや会社帰りのサラリーマン。お好み焼きが北海道で定着し、最近では若いカップルも増えたという。
開店当初は子供の歓声が響いた東屯田通の商店街もここ数年はシャッターが降りたままの店が増えた。「今は最盛期の四分の一くらいの人通り。寂しいね」と李さん。
その李さんが店子(たなこ)となっている「せんば」も、古びた建物に改築のめどはない。常連からは「どこか別の場所で続けてほしい」と言われるが、李さんは「もう年だし、一度休んでじっくり考えます」とのれんを下ろす覚悟を決めた。
三十八年間を振り返って李さんは言う。「毎日、開店前の準備は本当に大変だったけれども、たくさんのお客さんと触れ合うことができた。これが本当に楽しかった」
(北海道新聞より引用)
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